■気仙沼の今

東日本大震災から11年
東北地方の太平洋沿岸を中心に未曾有(みぞう)の災害をもたらした東日本大震災から、11日で11年となる。被災地の自立などを目指した第2期復興・創生期間に移行して1年が経過するが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が気仙沼・本吉地方にも重くのしかかっている。再建された生活基盤を活用したまちづくりは、これからが正念場だ。
気仙沼市と南三陸町の死者は合わせて1833人、行方不明者は425人となっている。震災から10年が経過したことに加え、新型コロナウイルスによる制約などで、以前に比べて捜索活動などは縮小されている。
震災からの10年間は、第1期復興・創生期間として土地区画整理、防災集団移転、災害公営住宅整備などのハード事業が集中的に行われた。防潮堤や道路などの整備が一部で残るが、復興のリーディングプロジェクトとして整備された三陸道や大島大橋などが開通しており、新たな生活基盤として機能している。
昨年始まった第2期復興・創生期間は、被災者支援や地方創生などに重点を置くが、コロナ禍で人的交流が制約され、経済活動の低迷などで、後退しているようにさえ感じられる。
市によると、震災後の2011年度に43万人まで落ち込んだ観光客は、19年度に震災前と同水準の250万人規模に回復したが、20年度は140万人まで減った。コロナの影響と見られ、今も低迷が続く。
人口減少も深刻で、市内では震災前に7万5千人だった人口が、6万人台を割る見込みだ。被災者の心のケアやコミュニティー再生のほか、高齢化への対応など課題が多い。
人口減少対策として雇用の場確保が求められており、産業活性化が期待される。市内では閉校施設を活用した企業誘致が成功し、貸しオフィスへのIT企業進出も実現するなど、明るい兆しも見える。
昨年12月に仙台~八戸間の三陸沿岸道路が一本につながったことなどが、さらに強力な追い風になる。着実に好機をつかみ、まちの持続発展につなげていくアイデアが、引き続き官民に求められる。
(三陸新報記事より引用)